きりんのさかだち

繊細で大雑把、楽しく生きたいけど人の目を気にするネガポジティブな人間が、日常のことを書きます。

大事なひとを亡くしたことはあるか

小学生の時、初恋の人が亡くなった。

人が死ぬということを初めて目の当たりにする小学生にとって、あまりにその経験は残酷だった。

なくなるということが文字通り「何もなくなる」ということが実感されたのは、想っても、電話をしても、何をしても向こうからの反応がないというのがわかった時だった。

年月が過ぎるにつれて、いくら会いたくてもいくらこの世界中を探してももう一生、二度と、永遠に会えないというのがはっきりしていった。死は薄れていくというが、思い出が濃くなるにつれて死の輪郭もまた濃くなってきた。

 

曾祖母がそのあと、高校生の時に亡くなった。

自他ともに認めるほどのおばあさん子だったが、驚くほどその時のことは薄れている。

大好きだったが、年寄りは自分よりたいてい早く逝ってしまう。それがわかっていた。

入院していたし、その前は寝たきりだったし、見舞いにいった母がぼけてしまった曾祖母に言葉をかけられて失望していた姿を見ていたことで、もう違ったひとになりつつあり、死がそこまで来ていると思った。

 

初恋の人の話に戻る。

 

中学生の時、別の人を好きになった。

友人との関係がうまくいかないこともあった。

高校を決めるとき、同級生が他に1人しか行かない学区外の遠い学校を選んだ。

そんなことが、そのすべてのことが、

彼が生きていたらどうなっていただろうと考える。

今思えば、小学生の時 学校に行く楽しみは彼に会えることだった。

彼がいたら、中学校生活はどうだったろうか。

彼がいたら、意味もなく離れた高校など行っただろうか。

彼がいたら、別の人を好きになることはなかったと思う。

なにがあったら彼がいるのに、別の人を好きになることがあっただろうか。

ふられても、意地の悪いことを言われても、きっと好きなままだったと思う。

彼にほかの彼女が出来ても、きっと好きなままだったと思う。

それほど、理想のヒーローでかけがえのない人で、こころから大好きで夢中になれた、幼い恋心を持続させられた人だった。

死んだからそう思うのだろうか。死んだからかけがえないのだろうか。

そんなことも思うが、たぶん違う。ずっと好きだったと思う。

 

今、私は結婚した。

もし夫が浮気したら、私は奴を許さない。

 

もしもその相手が彼だったら。

絶対激怒するし、信用もできなくなるだろう。

そんな失望でさえ、彼とならしてみたいとさえ思う。

 

もし夫がいま死んだら、きっと後を追うと思う。

人が死んで残される人がどれだけ哀しむか、ずっとずっと実感してきたことだから

自殺する人間を私は許さないけれど、

もう親の哀しむ顔を想像してもぼんやりとしてしまうほど、離れすぎてしまった。

家族も、友達も、家も、仕事も、なにもかも所縁が薄いところにきてしまったから、後を追うのにさほど抵抗はないだろうな。

子供がいたら考えは変わるんだろうけれど。

 

 

結婚式が近づいてきた。

私は夫とほんとうの夫婦になる。

人生でかけがえのない相手になって、一緒にこの後の人生を、死ぬまで歩んでいく。